歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

合戦・戦い

歴史・人物伝~信長飛躍編②~⑤「世にその名を知らしめた桶狭間の合戦」

noteで連載中の「思い入れ歴史・人物伝~信長飛躍編」で、桶狭間の合戦について紹介しました。note版の②~⑤を一括掲載いたします。 桶狭間の合戦は信長の「逆転劇」ではない 大高城を巡る攻防戦 桶狭間の合戦に向けた信長の軍略とは 明暗を分けた「戦いへの…

歴史・人物伝~関ケ原編⑮~⑳「関ケ原の戦い、勝者と敗者の人物群像」

全国の諸大名・武将を巻き込んだ戦国最大の騒乱「関ケ原の合戦」。徳川家康が勝利し、石田三成や毛利一族らの西軍が惨敗したのは、なぜだったのでしょうか? note版「思い入れ歴史・人物伝」~関ケ原編の⑮~⑳をブログで一括掲載します。 徳川家の面目を保っ…

歴史・人物伝~関ケ原編⑨~⑭「関ケ原の戦い、勝者と敗者の人物群像」

全国の諸大名・武将を巻き込んだ戦国最大の騒乱「関ケ原の合戦」。徳川家康が勝利し、石田三成や毛利一族らの西軍が惨敗したのは、なぜだったのでしょうか? note版「思い入れ歴史・人物伝」~関ケ原編の⑨~⑭をブログで一括掲載します。 「豊臣家は自分が守…

歴史・人物伝~関ケ原編⑤~⑧「関ケ原の戦い、勝者と敗者の人物群像」

全国の諸大名・武将を巻き込んだ戦国最大の騒乱「関ケ原の合戦」。徳川家康が勝利し、石田三成や毛利一族らの西軍が惨敗したのは、なぜだったのでしょうか? note版「思い入れ歴史・人物伝」~関ケ原編の⑤~⑧をブログで一括掲載します。 大軍勢を相手に壮絶…

歴史・人物伝~関ケ原編①~④「関ケ原の戦い、勝者と敗者の人物群像」

全国の諸大名・武将を巻き込んだ戦国最大の騒乱「関ケ原の合戦」。徳川家康が勝利し、石田三成や毛利一族らの西軍が惨敗したのは、なぜだったのでしょうか? note版「思い入れ歴史・人物伝」~関ケ原編の①~④をブログで一括掲載します。 関ケ原の合戦とは、…

「関ケ原の合戦①」戦国時代~石田三成の西軍に勝ち目があったとしたら

関ケ原布陣図 日本史上屈指の内戦でもある関ケ原の合戦は、徳川家康が天下取りをするための最後の大戦(おおいくさ)でした。数に勝る西軍を撃破できたのは、家康方の巧みな調略が物を言ったわけですが、もちろん西軍にも十分勝ち目があったと私は思います。…

「長篠の戦い②」戦国時代~織田・徳川軍は、なぜ大勝利したのか?

再現された馬防柵(新城市) 織田信長と徳川家康が、強敵の武田勝頼を徹底的に叩きのめし、戦国史のターニングポイントとなった長篠の戦い。信長の生涯を記録した「信長公記」の記述からも、信長が並々ならぬ決意で決戦に臨んだことがわかります。 信長は「…

「長篠の戦い①」戦国時代~家康と信長にとって命懸けの戦いだった

長篠城 織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が激突した長篠の戦いは、戦国時代の中でも大きなターニングポイントとなった合戦です。信長・家康軍はほぼ無傷だったのに対し、勝頼軍は甚大な犠牲者を出し、明暗がはっきりと分かれました。 私は、信長と家康…

「桶狭間の合戦②」戦国時代~今川義元には予想外だった野戦

桶狭間古戦場(豊明市) 織田信長が今川義元を破った「桶狭間の合戦」は、ブログ「桶狭間の合戦①」でも書きましたが、ドラマや映画で描かれるような奇襲戦ではありませんでした。では、なぜ義元は負けてしまったのか。私なりに考えてみたいと思います。 当時…

「桶狭間の合戦①」戦国時代~大軍に奇襲をかけた戦いではない?

桶狭間古戦場(豊明市) 織田信長が天下にその名を知らしめた戦いとされるのが、駿河の太守・今川義元を破った「桶狭間の合戦」です。ドラマでは、義元の本陣に僅かな手勢で攻めかかる勇猛果敢な信長主従の姿が描かれ、奇襲戦として有名になりました。 最近…