23日放送の大河ドラマ「どうする家康」は、織田信長が殺される本能寺の変が描かれ、一つの区切りを迎えました。今回のブログでは、かなり個人的な意見を書かせていただきますのでご容赦ください。
正直言わせてもらうと、本能寺の変は期待外れでした。
信長のラストシーンとしてはかなり派手でしたし、信長役の岡田准一さんも迫真の演技を見せてくれました。信長が秘めてきた思いも、幼少期や青年期の回想を交えながら、丁寧に描いていたようにも見えます。
一方の家康ですが、決断ができないばかりに信長を討つ機会を失ってしまい、自身も命を狙われることになってしまいます。来週の大河ドラマで「神君伊賀越え」が描かれるでしょうから、どうやってピンチをしのぐかは注目されます。
期待外れだと思った部分・・・それは明智光秀の描かれ方です。本能寺の変という重大事件のドラマであるにもかかわらず、光秀がなぜ、信長に反旗をひるがえしたのかが、今一つはっきりと分からなかったからです。
信長は光秀を見て「なんだ、お前か」と意表を突かれたようですし、羽柴秀吉も謀反の主が光秀と聞いて「光秀?」と意外に思った場面などを見ると、光秀の謀反は全くの想定外だったと取れるでしょう。
ストーリーの主軸が信長と家康の話になっているので、あえて光秀についてはクローズアップしなかったのかもしれません。ただ、後世の歴史を知る者とすれば、光秀の動機の部分にもっとスポットを当ててほしかったと思います。
明智光秀を主人公にした大河ドラマ「麒麟がくる」の本能寺の変が、あまりにもドラマチックだったがゆえに、ついつい比較してしまいました(苦笑)
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