大河ドラマ「豊臣兄弟」の10月11日放送では、豊臣秀吉の側室として茶々が嫁ぐまでのストーリーが描かれました。正室である寧々との関係性も丁寧に描かれていましたね。
ドラマでは秀長が茶々を妻に迎えるよう進言しています。史実はどうだったのかは定かではありませんが、秀長が主人公のドラマなので、こうした演出であっても違和感ないと思いました。
秀長は「織田と浅井と豊臣の血をつないていけるのはあなただけ」と、茶々を説得します。秀吉との間に生まれた鶴松、そして秀頼は、まさに織田、浅井、豊臣の血脈を持つ子だったわけです。
ところが鶴松は夭折し、秀頼も天下人の座を徳川家康に奪われた挙句、大坂夏の陣で自刃し(母の茶々=淀殿も)、秀吉直系の血脈はわずか2代で絶えてしまうのです。

織田と浅井の血を持つのは茶々だけではなく、妹の初と江の存在を忘れてはいけません。ただ、京極家に嫁いだ初は子宝に恵まれず、血脈をつなぐことはできませんでした。
江は徳川秀忠に嫁いで、のちに3代将軍となる家光らを産みます。織田、浅井、豊臣ではなく「織田、浅井、徳川」の血脈をつくり、家光の系譜が4代家綱、5代綱吉、6代家宣と将軍家をつないでいきます。
父の家宣の死により、幼少で7代将軍となった家継でしたが、わずか8歳で亡くなってしまいます。もちろん子はおらず、ここで江の直系は途絶えてしまうのです(8代吉宗は紀伊家出身)
豊臣も徳川も「織田、浅井」の血をつなげなかったかに思えるのですが、実はもう一人、「織田、浅井、豊臣」の血脈をつないだ人物がいました。それは江の実子である豊臣完子です。
江は秀忠より前に、豊臣秀勝(秀吉の姉の子)に嫁いでおり、娘をもうけていました。秀勝は朝鮮出兵の際に病死したため、江は秀忠に嫁がされ、娘の完子は淀殿のもとで育てられることになります。
完子は五摂家の九条幸家に嫁いだことで、その子(二条康道、九条道房)は「織田、浅井、豊臣」に加え、「藤原摂関家」の血脈をもつないでいくことになり、その系譜は現在まで連綿と続いているのです。
それにしても、今回の「豊臣兄弟」で秀吉と茶々を結び付けた張本人が秀長だったという演出は、のちのちの豊臣家の運命を考えると、かなり酷な話になってしまうわけですよね。
秀吉と茶々の間に子ができたことで、秀次の一族が大粛清されてしまい、ひいては豊臣家の滅亡へとつながってしまいます。
そして次週、豊臣家にとって家族の絆を分断する辛い出来事が起きるのです・・・
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