歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「光る君へ」平安時代の位階制度

大河ドラマ「光る君へ」の4月7日放送分は、一条天皇のもとで摂政・関白として権勢を振るっていた藤原兼家の死去と、その後継者となった藤原道隆が権勢を振るい始めるところまでが描かれました。

貴族社会の政治は、位階や官職によって上下関係が定められていました。最も上位になるのが太政大臣、そこから左大臣、右大臣、内大臣の順となり、貴族たちは大臣の座を目指して競い合っていたのです。

分かりにくいのが「左大臣と右大臣は、どちらが偉いのか?」ということです。人間の感覚としては、右利きの人が多いので右大臣の方が上ではないかと思われがちですが、正解は左大臣ということになります。

さらに、その下の大納言、中納言には「権」と付くものがあります。大納言と権大納言は、どちらが偉いでしょうか?。その答えは「権」の付かない方。「権」には、仮の官職とか副〇〇というような意味合いがあるようです。

言われてみればなるほどと思うのでしょうが、ドラマで登場人物が入り混じって来ると、誰がどの序列なのか、混乱することもしばしばあります。とくにドラマだと、役者さんのネームバリューに惑わされたりもしますし(笑)

ただ、そうした位階がはっきりとしていた中にあって、藤原兼家は摂政や関白を「位階を超えた特別な存在」にしてしまったのです。それは後継関白となった藤原道隆にも引き継がれていきました。

家柄や年功序列を重んじていた貴族たちにとって、一足飛びにトップへ躍り出た道隆の存在は疎ましかったでしょう。一方で、道隆らに取り入って出世したいという思惑を持つ者も少なくなかったはず。

平安期の歴史ドラマでありながら、現代社会の縮図を見るようですよね。

 

今後も不定期掲載で大河ドラマ「光る君へ」の感想などを書いていきます。

 

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歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:幕末の薩摩藩で小松帯刀はどんな役割を果たしたのか

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。

「戦国ヒストリー」は、丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジンといううたい文句で、戦国時代を中心に源平時代から近現代史まで、時代もジャンルもバラエティに富んだサイトです。

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今回の掲載コラムご紹介は「幕末の薩摩藩小松帯刀はどんな役割を果たしたのか」です。

小松帯刀と言ってもピンとくる方は少ないかもしれません。薩摩藩といえば、西郷隆盛大久保利通が超有名人ですし、あとは大河ドラマにもなった篤姫天璋院)の知名度が高いくらいでしょうか。

でも、小松帯刀が幕末期に果たした役割は、西郷や大久保に匹敵する、あるいは二人を凌駕するほど大きかったのです。薩長同盟もドラマでは西郷と桂小五郎の握手シーンが出てきますが、実際は西郷ではなく小松だったわけです。

小松が歴史に名を残せなかったのは、彼が明治維新直後の明治3年に亡くなってしまったから。存命であれば、明治政府の一員になっていたはずで、どれほどの活躍ができたでしょう。それを思うと無念な気持ちになります。

ささやかなコラムではありますが、埋もれてしまった偉人・小松帯刀を多くの方に知っていただこうと思って執筆しました。よかったら、ぜひご覧ください

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「光る君へ」知識が薄かった平安時代への興味

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」がスタート1カ月、第5話まで進んできました。このドラマは平安時代藤原道長を中心とした摂関政治全盛期が舞台で、主人公に紫式部(まひろ)を据えています。

今回のドラマを視聴するかどうか、本音を言うと悩みました。これまでの大河でも、あまり興味がなさそうな作品については最初から視聴しないことがあったからです(例えば、2019年のいだてん)

「光る君へ」は、藤原道長が主要なキャストになってはいるものの、メインとなるのは紫式部ら当時の女流作家ら女性たちだろうという先入観があり、歴史ファンとはいえ戦国や幕末好きの身には馴染まないだろうと思っていました。

もうひとつ、平安時代というのはどうにもこうにも分かりにくさがあり、これまで積極的に文献などを読もうとしませんでした。ゆえに知識も乏しく、藤原道長の名は知っていても、どんな経歴なのかははっきりと分からなかったのです。

 

そんなわけで、とりあえず第1話くらいは見てみようという感じで、今年の大河ドラマ視聴が始まりました。

ドラマは、現代風にかなりアレンジがされている印象で、思ったよりも馴染みやすかったというのが第1話を見た感想です。ただ、どうしても登場人物の関係性がよく分かりませんでした(藤原、という姓ばかりということもあり・・・)

そこで、まずは当時の天皇が誰だったのか、どんな事績の持ち主なのかを調べ、そこに藤原氏がどのようにかかわっていたのか、さらに紫式部ら女性たちはどこに位置しているのかを予備知識として得ておこうと思ったわけです。

登場人物の関係性がわかってくると、ドラマも面白くなるというもの。もちろん、大石静さんの脚本も素晴らしいですし、まひろ役の吉高由里子さんら俳優さんたちの演技も見ごたえ十分で、次第に「次回が楽しみ」となってきました。

第5話では、互いの素性を知らなかったまひろと三郎(道長)の正体判明の話。母を殺した男(道兼)の弟と知り、激しく動揺するまひろ。一方で、兄がまひろの母を殺したという事実に愕然とする道長

このあと、二人がどのような関係性を持っていくのか、注目していきたいですね。

 

大河ドラマ「光る君へ」は、前々作「鎌倉殿の13人」や前作「どうする家康」のように登場人物をクローズアップさせた連載コラムは書けそうにありませんので、不定期掲載の形でドラマの感想などを書いてみたいと思っています。

 

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歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:高杉晋作の「功山寺決起」が起死回生の逆転劇と言われる理由は

2024年最初のブログになります。今年もよろしくお願いいたします。

 

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。

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今回の掲載コラムご紹介は高杉晋作の「功山寺決起」が起死回生の逆転劇と言われる理由は」です。

功山寺決起と聞いて、すぐに歴史上のできごとを思い起こせる方は、かなりの幕末通と言えるでしょう。高杉晋作が起こした、というヒントで分かる方も、なかなかの通だとお見受けいたします(笑)

功山寺は、下関市長府にあるお寺です。幕末の長州藩の藩論を「倒幕」に転換させるきっかけとなったクーデターで、タイトルにもあるように歴史をひっくり返す逆転劇だったと言われ、その首謀者が高杉晋作なのです。

功山寺決起を私に印象付けたドラマがありました。1989年に放送された年末時代劇スペシャル「奇兵隊」です。雪が降りしきる功山寺の門前で、松平健さん演じる高杉晋作がたった一人で決起しようとした名場面が目に焼き付いています。

それから3年後、山口県をひとり旅した時に夕闇のなかで功山寺の門前を見た時、「ここが維新回天の原点となった場所なんだ」と感動に包まれた記憶があります。そんな思いも込めながら、功山寺決起についてまとめてみました。

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」最終回を見終えての感想

大河ドラマ「どうする家康」は17日の放送で最終回となりました。前半では、戦国乱世に終止符を打つ大坂夏の陣を通し、秀頼や淀殿らの自害という豊臣家の悲劇と生き残ってしまった家康の悲哀が描かれました。

後半のラストは、信康と五徳の祝言で起きたエピソードを通し、家臣との絆や家族愛が綴られました。時は永禄10年(1567)で、家康が三河統一を果たして間もない頃・・・心穏やかな日々を送っていた頃だったのでしょう。

さて、今回のブログでは、一年間「どうする家康」を視聴してきたもろもろの感想を、ざっくばらんに書き綴ってみました。

徳川家康を主人公にした大河ドラマとしては、1983年に滝田栄さん主演の「徳川家康」がありました。他の歴史上の偉人とは違い、家康の生涯をたどるとなると、半世紀以上の歴史を描かなければなりません。

「どうする家康」がスタートした時、果たして家康の生涯をどこまで描くのかに着目していました。最初のころのドラマの流れからすると、せいぜい関ケ原の合戦くらいまでかなと思ってしまったほどです。

結局は、大坂夏の陣を経て家康が生涯を閉じるまでが描かれたわけですが、さすがに老けメイクをしたとはいえ、松本潤さんではちょっとムリがあったかなという印象が残りました(そうでないと感じた方もいらっしゃるでしょうが・・・)

どうしてそう思うのかというと、私のなかに「葵徳川三代」(2000年放送)での家康役を演じた津川雅彦さんの印象が強く残っているからです。津川さんの家康は、晩年という点で言えば、ドラマ史に残る家康像でした。

一方で、青年期の家康についてはとても新鮮味がありました。とかく、若くして老成したような家康像が作られがちですが、見事なまでに未熟で頼りのない家康が描かれ、松本潤さんの演技も相まって面白く見させていただきました。

織田信長豊臣秀吉は、かなりデフォルメされた人物像だったように思いますが、そこは岡田准一さん(信長)、ムロツヨシさん(秀吉)の演技が光りました。ただ、明智光秀が従来のような悪役的に描かれたことは残念でしたね。

北川景子さんの2役出演も話題になりましたが、とりわけ淀殿の演技は素晴らしかった。個人的には「葵徳川三代」の小川真由美さんの淀殿が非常に印象深いのですが、北川さんの淀殿もそれに匹敵する存在感を見せてくれました。

それから、前回作「鎌倉殿の13人」の主演だった小栗旬さんが、アッと驚く老けメイク姿の天海大僧正役で登場しました。これは前回最終回で松本潤さんがサプライズ出演したお返しといったところでしょうか(笑)

1年間楽しく見させていただき、ありがとうございました。

 

※2023年の当ブログ「思い入れ歴史・人物伝」は、本日が年内最終となります。
 2024年も不定期ですが記事を載せていきますのでよろしくお願いいたします。

 

【追記】note版「歴史・人物伝」は、2024年よりお休みさせていただきます。詳しくはnote「歴史・人物伝」は定期更新を終了いたしますをご覧ください。

 

★丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジン「戦国ヒストリー」にて、ユーザー投稿で執筆中。「どうする家康」の時代のついてのコラムも複数書いています。よかったらご覧ください。

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」豊臣家は血脈が絶えてしまったのか?

大河ドラマ「どうする家康」も、いよいよ放送が大詰めとなってきました。打倒徳川に意気上がる豊臣勢。対する家康はじめ徳川勢も戦国乱世にピリオドを打つ覚悟を決め、大坂夏の陣に挑む・・・というところまできましたね。

さて、豊臣秀吉が一代で築き上げた豊臣家は、彼の死後わずか16年で滅び去ってしまうのですが、天下を取った徳川家、曲りなりにも大名として存続した織田家と異なり、なぜ豊臣家は消滅してしまったのでしょうか?

豊臣一族の末路を振り返ってみましょう。

まずは秀吉の直系です。秀吉が1598年に死去した時、唯一の子である秀頼はわずか5歳でした。1603年に徳川家康征夷大将軍になったことで、家康との身分が逆転してしまいました。

秀頼の正室は、家康の孫娘である千姫ですが、二人の間には子供がいません。側室との間に1男1女をもうけましたが、秀頼が自害した大坂夏の陣の後、男児国松も捕らえられて処刑されてしまいました。

女児の方は、千姫の助命嘆願もあって仏門に入ることを条件に生き残りました。尼寺である鎌倉の東慶寺に入って天秀尼となって出家し、正保2年(1645)に37歳で死去しました。彼女の死で豊臣家直系はこの世から姿を消しました。

さて、歴史を戻して振り返ってみますと、結果的に秀吉にとって痛恨事となる事件がありました。それは、秀吉の養子として関白を継いだ羽柴秀次を謀反の疑いで自害に追い込んだ「秀次事件」でした。

秀吉の姉・ともの長男だった秀次は、秀吉の後継者となったわけですが、事件によって命脈を絶たれます。さらに秀吉は秀次だけでなく、嫡男の仙千代丸をはじめ、4人の男児を全て処刑してしまったのです。

ともにはほかに秀勝、秀保という2人の子がいました。秀勝は浅井三姉妹の江と結婚して娘1人をもうけますが、朝鮮出兵の最中に没しました。秀保は秀吉の弟である秀長の養子となり、秀長死去後に家督を継ぎますが、若くして亡くなっています。

秀吉の弟である秀長は、男子を幼くして亡くしていますし、妹の朝日姫は子宝に恵まれませんでした。このため、豊臣家は秀吉直系だけでなく、兄弟姉妹の系譜も存続することができなかったのです。

ただし、豊臣家の血脈が完全に途絶えたわけではありません。秀勝と江の娘・完子(さだこ)淀殿のもとで育てられたあと、九条家に嫁ぎ、4男3女の子宝に恵まれます。完子と秀吉とは血のつながりはありませんが、豊臣家の名を後世に残したのです。

 

さて、大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ最終回。どんなエンディングが待ち受けているのでしょうか?

 

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歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:徳川秀忠の隠し子だった保科正之を救った育ての父と母

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今回の掲載コラムご紹介は徳川秀忠の隠し子だった保科正之を救った育ての父と母」です。

大河ドラマ「どうする家康」にも登場した徳川2代将軍の秀忠。正室の江は、姉さん女房でたいへんな悋気持ちだったと言われています。

そんな秀忠に「お手付き」の末、男児が授かりました。男児の存在は江に隠し通さねばならず、男児は将軍の子として育てられなくなりました。

そこで登場するのが育ての父と母。母は武田信玄の娘(見性院)、父は元武田家家臣にして家康配下の大名である保科正光でした。

この男児こそ、のちに将軍家の大黒柱となり、名君と称えられた保科正之です。名君を育てた父と母についてコラムで紹介してみました。

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