歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「竹崎季長①」鎌倉時代~子孫のために残した絵巻が貴重な文化財に

元寇資料館(福岡市) 竹崎季長といっても「いったい誰?」と思う方がほとんどでしょうが、鎌倉時代の元寇を描いた絵巻「蒙古襲来絵詞」は聞いたことがあるかもしれません。竹崎が、元寇での一族の活躍や恩賞交渉の様子を描かせた絵巻なのです。 無名の御家…

「武田信繁①」戦国時代~兄・信玄とともに戦国を戦った弟

川中島古戦場(長野市) 足利尊氏と足利直義の観応の擾乱や、織田信長による弟の信行謀殺など、肉親同士が権力争いをする「骨肉の戦い」は、どの時代でも見られます。戦国武将の武田信玄も、父親の信虎を国外追放し、嫡男の義信を自害に追い込んでいます。 …

「足利直義①」南北朝時代~兄の尊氏と最後は対立する運命に

足利直義は、室町時代の初代将軍・足利尊氏の実弟ですが、歴史上の人物としては尊氏ほど知られてはいません。しかし、足利将軍家の政権運営を事実上担っていた点では、当時は尊氏に匹敵する存在感を持っていたと思われます。 尊氏は、将軍としてのカリスマ的…

「近藤勇①」幕末・維新~百姓が幕府高官となって帰って来た瞬間

近藤が戦勝祈願したとされる西光寺(調布市) 幕末の京都で治安維持を担っていた「新選組」は、会津藩お雇いの私的な浪士集団から、様々な事件・戦乱への出動実績を積んで幕府に認められ、ついに幕府の正式な軍事集団へと昇りつめました。その局長が、お馴染…

「継体天皇①」古代~福井市にある雄々しき天皇像

継体天皇の像(福井市) 今回は継体天皇について書きます。当ブログ初めての古代編、かつ皇族のご紹介となります。継体天皇は約1500年前に即位され、その子の欽明天皇から続く皇統が、今上陛下にまで脈々とつながっています。 継体天皇の前の武烈天皇が…

「朝倉義景②」戦国時代~時代の先が読めなかった武将

一乗谷の復元家屋(福井県) 朝倉義景は、足利義昭を庇護していたのにもかかわらず、上洛を決断できませんでした。周囲の状況などの理由があったので、決して「KY(空気が読めない)」ではなかったのですが、その後の行動は「KY」と言われても仕方ありま…

「朝倉義景①」戦国時代~名門の戦国大名は「KY」だったのか?

一乗谷の朝倉館跡(福井県) 足利義昭を擁しての上洛を成功させた織田信長と、常に比較対象されているのが、越前(福井県)の戦国大名・朝倉義景です。義昭上洛後は、信長と敵対し続け、結果として信長に滅ぼされてしまう悲運の武将となりました。 京を追わ…

「織田信長①」戦国時代~桶狭間の合戦に臨む「敦盛の舞」

信長が戦勝祈願したとされる熱田神宮 「桶狭間の合戦」は、今川義元の大軍を織田信長が撃破し、大将である義元を討ち取った戦いとして、歴史上に名を残しています。劇的な勝利ではありましたが、奇襲戦ではなく、信長の戦略的勝利だったとブログに書かせても…

ブログ開設1ヵ月を迎えての感想です

このブログは、戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、「日本の歴史の面白さや奥深さについて紹介したい」と5月16日に開設いたしました。以来書き続け、1ヵ月を迎えたところです。 ブログのカテゴリーの作り方や…

「吉田松陰②」幕末・維新~海外密航を企てて獄に入れられた過去

松陰と金子の像(萩市) 松下村塾で若き志士たちを育てた吉田松陰は、行動派としての一面を持っていました。若い頃に藩の許可を得て全国を遊学し、自分の目を通して貪欲に知識を身につけていったのです。その最たる行動が「海外密航」でした。 松陰は弟子の…

「吉田松陰①」幕末・維新~松陰先生が残した草莽崛起の心

吉田松陰 吉田松陰は、幕末から明治にかけて活躍した多くの人材を育てたことで知られていますが、松陰自身も思想家であり、革命家としてその生涯を貫き通しました。松下村塾時代に松陰が訴え続けた「草莽崛起(そうもうくっき)」について考えます。 「草莽…

「源頼朝②」平安時代~石橋山の合戦は本当に九死に一生を得たのか?

頼朝再起の地とされる仁右衛門島(鴨川市太海) 流罪となって伊豆で幽閉されていた源頼朝は、平家打倒を目指して挙兵します。相模に勢力を持つ三浦一族と合流するため北上した頼朝を、討伐命令を受けた大庭景親らが迎え撃ったのが、石橋山の合戦です。 この…

「源頼朝①」平安時代~池禅尼の助命嘆願は美談なのか?

熱田神宮(愛知県名古屋市) 源頼朝は、生涯で命の危機にさらされたことが2度あります。最初の危機は、平清盛と父の義朝が戦った平治の乱の時です。敗れた義朝は敗走した上に殺害され、義朝の後継者と目された頼朝も捕らえられてしまいました。 「平治物語…

「小栗忠順①」幕末・維新~先見の明を持っていた悲劇の幕臣

小栗忠順の胸像(横須賀市) 幕末・維新の戦いでは、新政府軍対旧幕府軍という表現を使われます。そのイメージから連想されるのは、新政府軍=革命・革新、旧幕府軍=守旧・保守という感じですが、今回紹介する小栗忠順は幕臣でありながらも、先見的な考えの…

「今川義元①」戦国時代~海道一の弓取りと言われた武将の実像は?

今川氏の本拠地だった駿府城(静岡市) 大河ドラマ「麒麟がくる」の6月7日放送分で、桶狭間の合戦が描かれました。太守である今川義元が織田信長に討たれたという劇的な要素を持つ戦いで、当ブログでも以前、太田牛一の「信長公記」を元に、合戦について考…

「伊能忠敬①」江戸時代~シニアがお手本にしたい見事な第2の人生

伊能忠敬旧宅(香取市佐原) 伊能忠敬は日本全国を測量しながら歩いて巡り、実測による日本地図を作成した人物として有名です。その精度は非常に高く、現在の測量技術で作成した地図と比べても、海岸線の誤差はほとんどないそうです。 この功績だけでも凄い…

「新田義貞①」南北朝時代~唱歌「鎌倉」に歌われた故事の名将

唱歌「鎌倉」の舞台・稲村ケ崎 唱歌「鎌倉」をご存知でしょうか? そこに「稲村ケ崎名将の剣投ぜし古戦場」という歌詞があります。小学生の頃、歌は歌えたのに歌詞の意味がさっぱり分からなかったのですが、これは鎌倉幕府を倒した新田義貞の故事からきてい…

「桶狭間の合戦②」戦国時代~今川義元には予想外だった野戦

桶狭間古戦場(豊明市) 織田信長が今川義元を破った「桶狭間の合戦」は、ブログ「桶狭間の合戦①」でも書きましたが、ドラマや映画で描かれるような奇襲戦ではありませんでした。では、なぜ義元は負けてしまったのか。私なりに考えてみたいと思います。 当時…

「桶狭間の合戦①」戦国時代~大軍に奇襲をかけた戦いではない?

桶狭間古戦場(豊明市) 織田信長が天下にその名を知らしめた戦いとされるのが、駿河の太守・今川義元を破った「桶狭間の合戦」です。ドラマでは、義元の本陣に僅かな手勢で攻めかかる勇猛果敢な信長主従の姿が描かれ、奇襲戦として有名になりました。 最近…