「桶狭間の合戦」は、今川義元の大軍を織田信長が撃破し、大将である義元を討ち取った戦いとして、歴史上に名を残しています。劇的な勝利ではありましたが、奇襲戦ではなく、信長の戦略的勝利だったとブログに書かせてもらいました。
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考察の根拠にしたのが、太田牛一の著した「信長公記」の記述です。太田は、信長の側近として仕えており、当時の状況を詳細にまとめています。「信長公記」の史料的価値の高さは多くの研究者も認めるところです。
ところで、信長が桶狭間の合戦に赴く際、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」で始まる「敦盛」の舞を舞う場面が、ドラマや映画のワンシーンに取り上げられています。これはフィクションなのでしょうか?
実は、「敦盛」を舞ったことは「信長公記」に記されており、その直後に立ったまま食事をし、鎧兜を付けて出陣したとしています。付き従ったのはわずかな近習のみだったといいます。信長は、決死の覚悟を「敦盛」に重ね合わせたのかもしれません。
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