歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

「源頼朝①」平安時代~池禅尼の助命嘆願は美談なのか?

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熱田神宮(愛知県名古屋市

源頼朝は、生涯で命の危機にさらされたことが2度あります。最初の危機は、平清盛と父の義朝が戦った平治の乱の時です。敗れた義朝は敗走した上に殺害され、義朝の後継者と目された頼朝も捕らえられてしまいました。

平治物語」では、清盛の母親の池禅尼が「死んだ我が子に似ている」として、頼朝の助命嘆願をし、処刑を免れたとしています。池禅尼の美談のように語られていますが、母親の思いだけで清盛が処分を軽くしたとは到底思えません。

頼朝の母親(由良御前)は熱田神宮の大宮司の出身で、後白河上皇の姉である統子内親王(上西門院)に、由良御前が仕えていたことがあり、頼朝自身も上西門院の蔵人でした。そうした縁が、清盛に処刑をためらわせた一因になった可能性があります。

さらに私の推測ですが、もし頼朝を処刑した場合、東国の源氏を支える勢力がさらなる反乱を引き起こすのではと、清盛が警戒したのではないでしょうか。まだ少年の頼朝には勢力を結集する力はないため、流罪で十分だと考えたのかもしれません。

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