吉田松陰は、幕末から明治にかけて活躍した多くの人材を育てたことで知られていますが、松陰自身も思想家であり、革命家としてその生涯を貫き通しました。松下村塾時代に松陰が訴え続けた「草莽崛起(そうもうくっき)」について考えます。
「草莽」とは草の根の人々のことで、松陰は「志を持っているのなら身分を問わず、国難に向かって立ち上がれ」と訴えています。上級武士出身の高杉晋作は「武士こそが先頭に立つべき」と考え、最初はこの考えが理解できなかったそうです。
しかし、松陰は在野の人々の潜在的な力を知っていました。それは密航の罪で野山獄に入れられた際、多くの罪人から様々な学びを得たり、松下村塾に通う下級武士や農民の若者たちの志に触れたりしていたからです。
松陰自身は安政の大獄で処刑されてしまいますが、その意志は高杉晋作や久坂玄瑞らに引き継がれ、奇兵隊など新しい軍事組織の結成につながるのです。また、伊藤博文や山県有朋が明治の政治、軍事を築くヒントになったとも言えます。