光秀の生涯を池端俊策さんが描く
新型コロナウイルスの影響で撮影ができず、大河ドラマが約2か月間放送中断する事態になりましたが、8月30日の放送から再開されました。再開したドラマもしっかりと視聴させていただきました。
「麒麟がくる」の主人公は明智光秀です。戦国時代後半、とくに織田信長や豊臣秀吉のドラマでは絶対欠かせない重要人物ですが、光秀にスポットを当てたドラマはほとんどありませんでした。
中断前のドラマでは、謎に包まれている光秀の前半生が描かれました。ある意味、脚本の池端俊策さんのフィクションによる部分が中心だったと思います。ですが、全く違和感なくドラマを楽しめましたね。
池端さんは、大河ドラマ「太平記」の脚本を書かれており、鎌倉末期から南北朝という敵味方が交錯する時代のドラマを、分かりやすく、かつドラマチックに描かれたのが印象に残っています。
明智光秀も、信長や秀吉のような分かりやすい人物像とは異なり、主人公としては書きづらい武将でしょう。だからこそ、池端さんの脚本に期待しながら毎回楽しみにドラマを視聴しています。
今後の光秀がどう描かれるか?
8月30日の再開後の話は、桶狭間の合戦の4年後からスタートしました。光秀は越前に居住したままですが、後にキーマンとなる最後の将軍・足利義昭(覚慶)が初登場するなど、新しい動きも見られました。
義昭は、足利将軍家の正当な後継者として、織田信長の助力を得て京都への上洛を果たします。その義昭と信長を引き合わせる役目を担ったのが、光秀だと言われています。
ドラマでは、信長と光秀は旧知となっていますが、家臣の一員になるのはこの時からでした。会社に例えるなら、「信長が幹部候補生をスカウトした」ことになり、すぐに重臣として取り立てられました。
権威や権力に対する信長と光秀の考え方は、根本的に異なっていたと思っています。光秀は、将軍家を中心とした秩序ある世の中を理想としますが、信長は自らが権力の中心になることを目指すのです。
信長の天下統一の過程にあって、光秀は理想とのギャップをどう埋めていくのか、あるいは埋まらないままなのか。池端俊策さんの脚本で、どんなふうに描かれていくのか楽しみにしています。