江戸時代は幕府の命令が絶対とされ、例え大名であっても命令に背くとはできませんでした。その代表的な出来事が転封すなわち領地替えです。1840年に庄内藩の酒井家も、長岡藩への転封を命じられましたが、その時天保義民事件が起きました。
庄内藩の領民は200年以上続いた酒井家の統治に満足しており、転封によってやって来る川越藩松平家に不安を持っていました。そこで、領民が江戸の幕閣や近隣有力大名の元を訪れ、酒井家を転封しないように直訴したのです。
前代未聞の一つ目は「酒井家の殿様は立派で、領民が慕っている」という内容。この手の直訴では領主を批判することがほとんどですが、「領民といえども二君に仕えたくない」という思いが、後々幕閣や有力大名の心に響いたのです。
そして前代未聞の二つ目は、将軍・家慶が転封命令を撤回させたことです。領民たちの行動だけが要因ではありませんでしたが、幕府命令は絶対とされた当時は極めて異例であり、結果として幕府の権威にキズをつけることになったのです。