戦国時代
一乗谷の復元家屋(福井県) 朝倉義景は、足利義昭を庇護していたのにもかかわらず、上洛を決断できませんでした。周囲の状況などの理由があったので、決して「KY(空気が読めない)」ではなかったのですが、その後の行動は「KY」と言われても仕方ありま…
一乗谷の朝倉館跡(福井県) 足利義昭を擁しての上洛を成功させた織田信長と、常に比較対象されているのが、越前(福井県)の戦国大名・朝倉義景です。義昭上洛後は、信長と敵対し続け、結果として信長に滅ぼされてしまう悲運の武将となりました。 京を追わ…
信長が戦勝祈願したとされる熱田神宮 「桶狭間の合戦」は、今川義元の大軍を織田信長が撃破し、大将である義元を討ち取った戦いとして、歴史上に名を残しています。劇的な勝利ではありましたが、奇襲戦ではなく、信長の戦略的勝利だったとブログに書かせても…
今川氏の本拠地だった駿府城(静岡市) 大河ドラマ「麒麟がくる」の6月7日放送分で、桶狭間の合戦が描かれました。太守である今川義元が織田信長に討たれたという劇的な要素を持つ戦いで、当ブログでも以前、太田牛一の「信長公記」を元に、合戦について考…
桶狭間古戦場(豊明市) 織田信長が今川義元を破った「桶狭間の合戦」は、ブログ「桶狭間の合戦①」でも書きましたが、ドラマや映画で描かれるような奇襲戦ではありませんでした。では、なぜ義元は負けてしまったのか。私なりに考えてみたいと思います。 当時…
桶狭間古戦場(豊明市) 織田信長が天下にその名を知らしめた戦いとされるのが、駿河の太守・今川義元を破った「桶狭間の合戦」です。ドラマでは、義元の本陣に僅かな手勢で攻めかかる勇猛果敢な信長主従の姿が描かれ、奇襲戦として有名になりました。 最近…
有岡城址 昨日のブログでご紹介した黒田官兵衛は、信長を裏切った荒木村重を説得するため、有岡城に出向き、逆に幽閉されてしまいました。その村重の妻は「だし」という名で、信長の一代記「信長公記」の作者・太田牛一は「有名な美人」と書いています。 村…
黒田孝高のイラストを掲げる店も(2014年) 2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公・黒田孝高は、豊臣秀吉の軍師として天下取りを支えてきました。高い軍事能力を持っており、謀略家だったことから、家臣とはいえ秀吉からは警戒されていたとも言われ…
井伊直政出世の地の碑(浜松市) 井伊直政は、徳川家康の家臣団の中で四天王の一人とされる武将でした。関ケ原の合戦後、井伊家は西国大名と京都の監視役として彦根藩に封じられ、譜代で最も石高の多い大名として江戸幕府を支えてきました。 直政は若くして…
真田幸村騎馬像(上田市) 2016年の大河ドラマ「真田丸」は、真田幸村(信繁)の生き様を脚色を交えながら描いたドラマで、毎週楽しみに見させてもらいました。とくに、父親の昌幸、兄で真田家を継いだ信之は、信州ゆかりの人物だったので余計興味深かっ…
柴田勝家の像(福井市) 戦国の天下統一にあと一歩まで近づいた織田信長は、秀吉をはじめ多くの新参者を家臣に抜擢した武将ですが、信長の父の代から織田家に仕えている古参の家来で、終始信長を支え続けてきた筆頭家老が柴田勝家です。 勝家は、信長横死後…
米沢市の慶次清水 (その1)からの続きです 上杉景勝と腹心の直江兼次を描いた大河ドラマ「天地人」が2009年に放送されました。原作者の火坂雅志さんは新潟県出身で、上杉家には格別の思いがあったようです。謙信好きの私も、ドラマには大いに期待して…
前田慶次の供養塔(米沢市) 前田慶次は、漫画「花の慶次」によって戦国武将の中でも屈指の知名度を誇る人物になりました。もちろん実在した人物です。前田利家の兄・利久に嫁いだ母親の連子で、実の父親は滝川一益の一族出身だとされています。 前田家の当…
若き日の長尾景虎(上杉謙信)像 上杉謙信は、戦国時代の大名の中でも孤高の存在と言われていました。戦国最強クラスの軍団を持ちながら、領土欲や天下取りの野望よりも、幕府を柱とした秩序の維持に全力を注いできました。関東管領を継いだのも、その一環と…