上杉謙信は、戦国時代の大名の中でも孤高の存在と言われていました。戦国最強クラスの軍団を持ちながら、領土欲や天下取りの野望よりも、幕府を柱とした秩序の維持に全力を注いできました。関東管領を継いだのも、その一環とされています。
謙信の根底にあったのは「義」だと言います。信義、忠義、正義は、謙信がモットーにしていた心得であり、「義」を侵すものは徹底的に叩こうとしました。武田信玄との激突も、北信濃の領主たちを守るための「義」の戦いだったのです。
謙信の「義」を象徴するのが「敵に塩を送る」という故事です。駿河の今川家が信玄への対抗策として、甲斐・信濃への塩の流通を禁じる「塩止め」という措置を取り、北条家もこれに賛同し、上杉家にも同様の措置を求めたのです。
これに対し謙信は、「敵は信玄であり、領民ではない」として、「塩止め」はしなかったといいます。本当のところは分かりませんが、「謙信ならそうしたであろう」という後世の人たちの思いが、この故事を生んだのでしょう。