歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」家康の側近となる謎多き男・本多正信の登場

大河ドラマ「どうする家康」第5話で、松山ケンイチさん演じる本多正信が登場しました。家康の家臣の中では、最も有名な人物の一人ですが、正体がよく分からない謎多き男でもあります。


本多正信は、本能寺の変以前にはほとんど登場しません。三河一向一揆の際に、一揆側について家康に敵対し、鎮圧後は出奔してしまったためです。家康に帰参した時期もはっきりしていません。

もともと身分が高かったわけでもなく、武将として戦場で働いたわけでもないので、徳川四天王らと比べると、華やかな戦歴はありません。戦いに明け暮れていた時代には、なかなか台頭できなかった人物だったのでしょう。

正信の真価が発揮されるのは、豊臣秀吉に家康が臣従したころからだと言われています。合戦自体が少なくなる一方で、秀吉や他の大名との外交能力や、領国経営の実務能力が重要視されるようになっていったからです。

正信は今でいう「官僚」のトップにあったと思われます。それは家康が、いち大名だったころから一貫していました。家康の地位が高くなればなるほど、それに合わせて正信の地位も引き上げられていったのでしょう。

徳川四天王ら他の家臣たちは、戦場で手柄を立てることで家康から恩賞をいただき、やがて万石取りの大名へと出世します。正信は、自らを「官僚」とわきまえ、出世よりも家康の側近としての地位を求めていきました。

家康は幕府を開き、すぐに息子の秀忠に将軍を継がせます。そして自らは駿府で大御所として君臨し、江戸幕府との二元政治を行っていきます。その際、正信を自分のそばではなく、秀忠の元に置いてお目付け役としたのです。

正信は、2万石程度しか所領がありませんでした。彼が分相応と思っていたのかは分かりませんが、息子の正純に対して「加増があっても辞退しろ」と言ったとされる逸話が残っているので、正信は「身の程を知っていた」とも言えるでしょう。

ただ、正純は最終的に15万石という徳川家臣団で最も多い所領を受けることになります。その結果、正純は他の家臣たちに疎まれ、やがて失脚してしまい、本多家は没落するのです。

 

「どうする家康」の本多正信は、つかみどころのない裏表があり過ぎる人物としてインパクトを与えています。松山ケンイチさんという主役クラスの俳優を配していますので、今までとは違った新しい正信像にも期待が持てそうですね。

 

 

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