歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」源氏の悲劇を繰り返す阿野全成の処刑

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描かれる権力闘争がますます激化してきました。毎回のように命を落とす人物が現れますが、7日放送分では阿野全成新納慎也)が処刑されました。将軍・頼家を呪詛した罪を問われてしまったのです。

頼朝のきょうだいがいなくなる

全成の死によって、源頼朝のきょうだいは絶えました。つまり、源平合戦を戦い抜き、その時代を知る源氏の直系がいなくなったのです。平家滅亡(1185年)からわずか20年しか経っていませんので、今の時代では考えられないでしょう。

平家滅亡時には、頼朝をはじめ、義経、範頼、そして全成がいました。しかし、義経と範頼は、頼朝自らの手で抹殺されてしまい、頼朝も急死。残された全成も、頼朝の子であり、おいでもある頼家によって処断されたのです。

比企氏と北条氏との権力争いに巻き込まれたとされますが、それに加えて、源氏が持つ「骨肉を争う血筋」があったのだと思います。それが後々、源氏将軍を3代で終わらせてしまい、頼朝の父・義朝から続く直系を絶やしてしまうことになるわけです。

「鎌倉殿の13人」では、全成を中性的なやさしさのある人物に描いていましたが、実際には「悪禅師」と呼ばれるように、僧でありながら勇猛果敢な人物だったようです。頼朝の挙兵を聞き、真っ先に駆けつけたことでもわかります。

考えてみれば、全成の母親は常盤御前で、義経の兄になるわけですから、義経と同じような「戦いの場で力を発揮するタイプ」であっても不思議ではありません。もう一人の同母兄弟の義円も、源平合戦の初期に戦死しています。

全成の子孫だった阿野廉子

ところで、ドラマでは全成と妻で北条時政の娘である美衣(宮澤エマ)との夫婦愛も描かれていました。美衣は阿波局と呼ばれた人物で、のちにきょうだいである北条政子・義時を助け、北条政権を支えていくことになります。

全成と美衣の夫婦仲はよかったようで、何人かの子供をもうけています。娘の一人は公家と結婚し、阿野家を創設しました。この家は子々孫々受け継がれていき、室町、江戸時代を経て、明治維新まで存続していったそうです。

全成の死後100年を経た子孫には阿野廉子がいます。彼女は、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇の寵愛を受け、のちの後村上天皇らを産みました。源氏と北条氏の両方を祖先に持つ天皇がいたことに、歴史の不思議さを感じてなりません。

余談ですが、阿野全成の処刑は、全成の激しい祈祷によって嵐が起こる壮絶なシーンになりました。笑いながら幕を閉じた義経、静かに息を引き取った頼朝とは対照的で、人物を重視する三谷脚本のこだわりを感じさせられました。

※このコラムはnoteと共通記事です

 

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