大河ドラマ「光る君へ」も後半に差し掛かってきました。4日の放送では、夫・宣孝を亡くしたまひろ(紫式部)が、中宮・藤原彰子のもとへ女房として出仕する前の頃までが描かれていました。
紫式部が出仕したのは寛弘2年(1006)もしくは同3年(1007)とされ、女房としての生活については「紫式部日記」で読み解くことができます。言い換えれば、それ以前の紫式部の生涯はよく分かっていないのです。
平安時代に興味を持ったので、この機会に紫式部日記を読んでみることにしました。まずは、紫式部日記を概説した著書から読み、そしてビギナーズ・クラシック日本の古典シリーズ「紫式部日記」を読破しました。
紫式部日記は、大きく分けて①中宮彰子が第1子(敦成親王)を出産する前後の日記②消息体と呼ばれる手紙風のもの③敦良親王の記事ほか、となります。メインとなるのは①の記録で、当時を知る第一級の史料ともいえます。
とくに興味深いのは②の消息体で、ここには中宮・彰子や女房たちについて、さらに和泉式部、赤染衛門、清少納言の人物評価が書かれ、清少納言への痛烈な批判に代表されるように、紫式部の「人を観察する目」の鋭さがよく分かります。
さらに自分自身についても記し、「幼い時、父が弟に漢詩を学んでいるのをそばで聞いて覚えた」というエピソードにも触れています。大河ドラマでも幼少時のまひろが学問好きだったという演出の元になっていましたね。
紫式部が女房としていつまで勤めていたのかは定かではありませんが、藤原実資の「小右記」の長和2年(1013)の記事中に「女房とは藤原為時の娘のこと」との注釈が入っており、これ以降もお側仕えしていたと思われます。
さて、いよいよ宮中でのまひろの奮闘が始まっていくわけですが・・・ここで再び1週間お休みとなります。パリ五輪中継のためとはいえ、ちょっと興ざめだなあと思うのは私だけでしょうか(苦笑)
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