歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」甲相駿三国同盟で嫁入りした女性たち

大河ドラマ「どうする家康」の26日放送は「氏真」のタイトルで、徳川家康と因縁浅からぬ関係の今川氏真とその妻が描かれました。ドラマでは糸と呼ばれていた妻は、相模の北条氏康の娘です。

糸が氏真の元に嫁いだのは、甲相駿三国同盟をより強固なものにするための政略結婚でした。三国同盟は、武田信玄今川義元北条氏康が結んだ和平協定で、これによって信玄は信濃、義元は尾張へ侵攻し、氏康は関東平定を目指せたのです。

それぞれの嫡子に娘を嫁がせるということで、今川氏真は糸(早川殿)と、武田義信には今川義元の娘(嶺松院)、北条氏政には武田信玄の娘(黄梅院)が嫁したのですが、同盟は10年余で破綻してしまったのです。

嫁いだ女性たちは、どうなったのでしょうか?

まずは武田義信に嫁いだ嶺松院です。彼女の不幸は、父の今川義元桶狭間の合戦で討ち死にしたことから始まります。

今川家の衰退を見た武田信玄は、駿河侵攻を企てますが、それに反対したとされるのが義信でした。親子の対立はついに義信の廃嫡騒動にまで発展し、幽閉された義信は自害に追い込まれてしまいます。

こうなってしまうと、もはや嶺松院の居場所は無くなります。嶺松院は今川氏真の元に送り返されますが、やがて信玄による駿河侵攻が行われ、その後の消息は不明。夫だけでなく、生まれた国まで失うという不幸に見舞われてしまうのです。

次は北条氏政に嫁いだ黄梅院です。彼女の不幸も、父の武田信玄駿河侵攻を行ったことに端を発します。

黄梅院は、氏政との間に嫡子の氏直をはじめ、何人かの子供を授かり、北条家で幸せな日々を過ごしていたと思われます。しかし駿河侵攻に激怒した氏康が、武田家との絶縁を決断し、黄梅院は武田家へ送り返されてしまいます。

甲斐に戻ってきた黄梅院は、離別のショックが大きかったのでしょうか、間もなく27歳という若さでこの世を去るのです。離別に加え、兄の義信も失っており、父を憎んでも憎み切れない生涯となってしまったのかもしれません。

最後に今川氏真に嫁いだ早川殿です。彼女はドラマで描かれたとおり、氏真の失脚によって大名の妻という座を失います。

ただ、嶺松院や黄梅院との違いは、氏真と共に生涯を全うできたということです。氏真は早川殿の父である北条氏康に庇護され、後に徳川家康の元に身を寄せるなどして、戦国の世を何とか生き抜いていました。

二人は子宝にも恵まれ、その中からは江戸幕府高家として存続した系統も出ています。「家族の絆が何よりも大事」という現代の価値観からすれば、早川殿は幸せな人生をおくることができたのだろうと思います。

 

「どうする家康」の今川氏真は、過去のドラマのようなひ弱な公家気取りの人物像ではなく、父親を超え、今川家を守ろうと必死にもがく武将として描かれました。溝端淳平さんの素晴らしい演技が氏真を魅力ある人物にしてくれましたね。

 

 

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