歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条義時の死にざま+三谷ドラマ総括

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が、本日最終回を迎えました。まずは、1年間存分に楽しませていただいたことに感謝します。ありがとうございました。

 

最終回は、なんといっても北条義時の「死にざま」が見どころでした。義時毒殺説に根拠を持たせるため、のえ(伊賀の方)が本当に毒を飲ませていたという筋書きにしていました。ただ、殺すまでには至らずに発覚してしまったのです。

毒を飲ませるという知恵を授けたのが、三浦義村でした。そこには、北条対三浦という家同士の抗争ではなく、義時対義村という幼なじみ同士の嫉妬が根底にあったことが、義村の口から語られたわけです。

ラスボスと見られていた後鳥羽上皇承久の乱は、あっさりとケリがついて拍子抜けしたところでしたので、義時が義村に毒入り酒(実はそうでない)を飲ませるシーンは圧巻でした。やはりラスボスは三浦義村だったんですね。

そして、体の弱った義時に引導を渡したのが姉の政子でした。命をつなぐための薬を自らの手で捨て去ったというのは、「これ以上、弟に修羅の道を進ませない」という政子のエゴイズムからくる情愛だったのではないかと思います。

政子は、自分も義時も役割は終わったと考え、後継者の泰時にすべてを託せると信じていたのでしょう。泰時が「御成敗式目」の原案作りをするシーンに、北条家や鎌倉幕府の明るい未来を感じずにはいられませんでした。

真田丸」と「鎌倉殿」の違い

ここで、「鎌倉殿の13人」を総括してみます。同じ三谷幸喜さんが脚本を手掛けた2016年の大河ドラマ真田丸」と、今回の「鎌倉殿」の違いについての私見をまじえてみたいと思います。

主人公は「真田丸」が真田幸村(信繁)、「鎌倉殿」は北条義時でした。戦国時代を描いた「真田丸」に対し、源平争乱から鎌倉時代初期が舞台だった「鎌倉殿」と、時代背景が異なります。むろん、違いはそればかりではありません。

真田丸」は、ドラマの流れにメリハリがありました。具体的には①徳川軍を最初に破った第1次上田合戦まで②関ケ原の合戦まで③九度山蟄居から大坂冬、夏の陣の大きく三つの章立てにはっきりと分かれていました。

一方「鎌倉殿」ですが、確かに①源平合戦②頼朝の鎌倉統治③13人合議制④北条氏台頭に分かれているように思えますが、それぞれが密接につながっていて、はっきりとした区切りは見出せないまま、最終回まで突き進んだという感じです。

むしろ「鎌倉殿」の場合、何人かの主要登場人物の死去(退場)がドラマのターニングポイントになっていた気がします。ポイントになったのは「上総広常」「源頼朝」「北条時政の3人だったと思います。

上総広常の惨殺は、源平合戦のさなかに起きていますが、この一件により源頼朝御家人の主従関係が明確になり、鎌倉殿(将軍)を頂点とする鎌倉幕府の礎が出来上がりました。同時に「粛清や排除の論理」が始まった出来事でもありました。

源頼朝の死はいうまでもありません。ドラマ最大の転換期といっても過言ではない出来事です。頼朝というカリスマがいなくなり、ドラマタイトルになった「13人合議制」がスタートしていくのです。

北条時政は子である義時や政子によって追放されますが、これも大きな転機と言っていいでしょう。時政失脚によって義時の権力が巨大化し、同時に政子の存在感も今まで以上に大きくなっていきました。

そして最終回、北条義時の死によってドラマは完結します。そこには後日談ばかりか、余韻すら与えていません。これは、三谷さんの最初の大河ドラマだった「新選組!」と同じ手法でした。あの時も近藤勇の斬首で「完」でしたね。

 

さて、最終回最大のサプライズは、冒頭のシーンで松本潤さんの徳川家康が登場したことでしょう。これには思わず、唸ってしまいました(笑)

来年の大河ドラマ「どうする家康」が、とても楽しみになってきました!

 

2022年のブログは今回がラストになります。皆様、よいお年をお迎えください

 

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