歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」武士の鑑と言われた畠山重忠の描かれた人物像

18日放送の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、畠山重忠が幕府の大軍と壮絶に戦う場面が放送されました。重忠と北条義時の一騎打ちは、とても見ごたえがあり、後事を託そうとした重忠の思いが伝わってきました。

畠山重忠が、後世に「武士の鑑」と言われるようになったのは、吾妻鏡平家物語での重忠の描かれ方に要因があると思います。源頼朝に忠義を尽くした武士だったことは事実でしょうが、それ以上に美化されていたことは否定できません。

吾妻鏡では、北条時政や妻の牧の方(りく)を批判的に書いていますが、その象徴的な出来事として、畠山重忠討伐事件を取り上げたと思われます。同時に、事件をきっかけに時政追放に動いた北条義時や政子の行為を正当化しています。

それが「忠義に厚い重忠」を概念化させ、軍記物で「伝説的な活躍をした人物」として重忠が描かれるようになったのではないでしょうか。さらに、江戸時代の武士の思想にもマッチし、重忠の人物像として定着していったのだと思います。

北条氏と畠山氏の対立の背景には、武蔵の国をめぐる権力抗争があったと推測されます。武蔵の有力者だった比企氏が滅ぼされたあと、武蔵支配をもくろむ北条氏にとって、畠山氏は「最後の難敵」だったのではないでしょうか。

頼朝の信頼が厚かったということは、息子である頼家や実朝からも信頼されていたと思われます。畠山氏にもっと政治力があったり、比企氏と手を組めたりしていれば、逆に北条氏が滅ぼされていた可能性も否定できません。

 

最後にドラマの話になりますが、中川大志さん演じる畠山重忠が大軍に立ち向かっていくシーンを見て、同じ三谷脚本の「真田丸」で、真田幸村堺雅人さん)が徳川軍に決死の突撃を敢行した大坂夏の陣の場面を思い出しました(笑)

 

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