歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」実力者たちのスタンスについて+善児&トウのこと

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、毎回シビアな展開が続いています。権力抗争に明け暮れた鎌倉時代が舞台なので仕方ありませんが、史実を追っていると「次回は〇〇の番だな」と読めるので、それをどのように描くのかも楽しみにしています。

今回のコラムでは、北条義時を支え続けた2人の人物について書きます。一人目は、盟友と目される三浦義村です。

義時が北条家を守るために奔走しているのなら、義村は三浦家が第一と考えている人物といえます。そして、三浦家を守るために最善の行動を取っているのですが、結果としてその行動は「北条家(とくに義時)に助力する」ことに結びつくのです。

第33回では、幽閉された源頼家の元を使者として訪れ、頼家に対して決起を促すような言葉を引き出しています。その一方で、「ともに立とう」と誘われても「お断りします」と言い切り、頼家を見捨てる冷徹さも持ち合わせているのです。

義村にとって、頼家と組んだところでリスクは大きすぎるばかり。頼家が北条氏にとって危険な存在であるよう仕向けたうえで、北条氏の手によって抹殺させ、そのことで源実朝中心の政権を安定させようとの魂胆があったのだろうと思います。

もう一人、注目したい人物は北条時房です。

これまでは、コメディーパートが多かった時房ですが、史実をひもとけば、北条義時と泰時の2代にわたって政権を支えてきた重要人物なのです。善児の家を義時と訪れた際、その決意が垣間見れたシーンがありました。

「泰時は昔の自分と同じだ」と語る義時に対し、「自分は泰時とは真逆でありたい」と言っています。私は、時房が「北条氏のダークな部分」を引き受けるという決意表明だったのではないかと考えています。

このあとの時房は、京で朝廷や貴族たちとのつなぎ役を担ったり、軍事行動の際には泰時を補佐したりと、北条政権を確立していくために奔走します。義時にとって、これほどありがたい味方はいなかったのではないかと思います。

その後の北条氏を見ても、3代泰時には弟の重時がいましたし、5代時頼には知恵者と言われた金沢実時の存在があり、一族の有力者が執権を支えるという仕組みを持っていました。その先駆けとなったのが北条時房だったのです。

善児に止めを刺したトウ

ドラマ上の架空人物ですが、ここで善児とトウについても語らせてもらいます。

源頼家暗殺を命じられた善児は、猿楽の一員に化けて潜入しましたが、泰時に正体を見破られてしまい、仕方なく正攻法での殺害に踏み切ります。しかし、「一幡」と書かれた紙に気を取られ善児は、頼家の太刀を浴びてしまうのです。

頼家はトウによって斬殺されましたが、善児は「しくじった」形となり、しかも深手を負ってしまいます。その善児に対し、トウは「この時を待っていた」と刀で突き刺し「父のかたき」「母のかたき」と言って、止めを刺したのです。

トウにとって善児は、源範頼暗殺の時の巻き添えを食って殺された父母のかたきで、それを押し殺して師匠として仕えてきた人物です。一義的には「かたき討ち」の面が大きいのでしょうが、私は別の側面もあったのではと解釈します。

それは、トウが善児に「引導を渡した」ということです。傷を見て、トウは「善児はもたない」と思ったに違いありません。だからこそ、かたき討ちをするのなら今しかないと考え、同時に「苦しまずに死なせてやろう」と思ったのではないでしょうか。

憎いかたきではあっても、自分が生きる道を作ってくれた恩人でもあり、トウは複雑な思いを持ち続けてきたのでしょう。武士の流儀で言うならば「介錯」の意味合いにも通じる、トウの善児に対するリスペクトだったのだと思いたいです。

トウのかたき討ちは、登場時から予想していましたが、このような形になるとは想像できませんでした。やはり三谷幸喜脚本はスゴイです!

 

★三谷さんに遠く及びませんが、私の著書も良かったら読んでみてください