2013年に大河ドラマ「八重の桜」が放送され、新政府軍の総攻撃を受けた会津藩の悲劇が描かれました。新島八重が主人公のドラマでしたが、会津若松市では八重よりも有名な女性がいます。それが中野竹子です。
会津戦争は藩にとっては総力戦で、少年から高齢者まで、さらには女性も戦いの真っ只中にいました。竹子は文武両道に優れた女性で、娘子隊に身を置き、会津戦争では母や妹らとともに城外での白兵戦で戦うことになったのです。
竹子は辞世に「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも」という句を残しました。「私など会津武士に比べれば物の数ではない」と自らを謙虚に見つめつつ、会津武士道を誇りに思っていたことがうかがえます。
竹子は銃弾を浴びて重傷を負い、敵の辱めを受けてはなるまいとして、妹に介錯を促しました。悲劇的な散り方をしてしまった竹子ですが、その精神は決して会津武士に負けない崇高さがあり、辞世に思わず涙ぐんでしまうほどでした。