鎌倉時代は、執権職を代々受け継いだ北条一族が権力を握っていました。源氏が滅んだあとの将軍は飾り物に過ぎず、執権を中心に政治が動いていましたが、中でも北条家の惣領は「得宗家」と言われ、権力の頂点にありました。
得宗家最後の当主だったのが北条高時です。鎌倉幕府が滅んだ時の人物だったため、後世では「闘犬にうつつを抜かしていた」などと、マイナスイメージで描かれてしまいがちです。ただ、本当にそれだけの人物だったのでしょうか?
歴代執権の中でも、得宗家の当主が執権の座に就くと、権威は一層増します。北条時頼、時宗、貞時そして高時がそれに当たります。ただ、鎌倉時代は権力抗争が激しかったため、政治基盤は決して盤石ではなかったと思われます。
高時は、鎌倉を攻められた時に一族郎党うち揃って自刃する道を選びます。凡庸なだけの当主だったら、御身大事で一族や家臣に裏切られていたでしょう。そう考えると、高時はカリスマ的な存在だったのかもしれませんね。