平清盛は、平安時代末期に日本で初めての武家政権を作り上げた人物です。平治の乱に勝ったことで権力の実権を握った清盛によって、「平家にあらずんば人にあらず」とまで権勢を誇るようになりました。
清盛は、神戸市の福原に都を移しましたが、わずか半年余りで京都に戻ることになりました。当時、平家を取り巻く政治情勢は不安定で、さすがの清盛も思いのままにならなかったようです。では、どうして福原遷都を考えたのでしょうか。
神戸はその当時から交易の港として栄えており、とくに中国(宋)との貿易の拠点でした。福原遷都は、京都の後白河法皇ら王朝権力と一線を画すとともに、経済の要ともなる貿易をしっかりと掌握しようという思惑があったのでしょう。
また、神戸周辺は六甲山に囲まれており、天然の要害になっていたことも、拠点には適していました。いずれにしろ、遷都こそ頓挫しましたが、今に続く貿易都市・神戸の礎を築いたのは清盛だったと言っていいでしょう。