歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」

戦国や幕末・維新を中心に古代から現代史まで、主に「人物」に視点を置きながら、歴史好きのオヤジが思いつくままに書いています

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「青天を衝け」全41話を見終わっての感想

2021年の大河ドラマ「青天を衝け」が26日放送分で41話完結しました。

江戸、明治、大正、昭和を生き抜き、91歳という長寿を全うした渋沢栄一の生涯をたどりましたが、さすがに主演の吉沢亮さんに老人役をさせたのにはムリがあったと思います(苦笑) それはさておき、ドラマ自体は非常に面白く見せていただきました。

このドラマが始まる前、前年作の「麒麟がくる」(明智光秀織田信長の話)が非常に面白かったこと、さらに来年の大河ドラマ三谷幸喜脚本の「鎌倉殿の13人」という楽しみもあったせいか、「青天を衝け」にはあまり期待していませんでした。

それというのも、興味のある幕末・維新から明治初期の歴史にあって、渋沢栄一という人物については、近代資本主義の父と言われたこと、元々幕臣だったことぐらいしか知識がありませんでした。出身地すら知らなかったほどです。

ドラマを見て感じた渋沢栄一像は「他人に道を切り開いてもらった人物」だと思いました。親戚の尾高惇忠から薫陶を受け、一橋家の平岡円四郎に見いだされ、徳川昭武の従者としてヨーロッパに赴き、大隈重信が明治政府に招聘し・・・

しかし、渋沢は最後に「在野の経済人」という道を自ら切り開き、やがて近代資本主義の父になっていきます。ドラマでは、それ以前の渋沢栄一の成長過程、すなわち「無名の渋沢が有名になっていく姿」を丹念に描いていたと思います。

忘れてはならないのが徳川慶喜の存在です。渋沢の晩年をドラマで描いた最大の理由は、慶喜の名誉挽回に最大限尽力した渋沢の執念と、終生変わらなかった慶喜との主従関係を見せたかったのではないでしょうか。まさに「快なり!」の演出です。

ドラマをきっかけに、渋沢栄一自伝も読みました。江戸から明治の人とは思えないような臨機応変さと豊かな発想の持ち主で、とかく「凝り固まったような人物」ばかりの幕末・維新に、渋沢のような「柔軟な人物」は稀有の存在だと思ったほどです。

自伝を呼んでからドラマを見てみると、脚本の大森美香さんが丁寧に自伝のエピソードを拾って書かれていたことがよく分かりました。脚本が台無しにする大河ドラマも過去見てきましたが、今回は真逆の「大森脚本あっての大河」でしたね!

最後に残念なことが一つだけあります。新型コロナによって、埼玉県深谷市の渋沢関連史跡や大河ドラマ館、東京都北区飛鳥山渋沢栄一記念財団の見学ができなかったことです。訪れていれば、さらにドラマを深掘りできただろうと悔いが残ります。

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さあ、2022年は三谷幸喜脚本の大河ドラマがスタートします。過去に放送された「新選組!」も「真田丸」も、のめり込むように見せていただきました。「鎌倉殿の13人」にも大いに期待します!

歴史・人物伝~渋沢栄一「実務者としての力量を買われた男」

※noteとの共通記事です

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大河ドラマ「青天を衝け」も大詰めとなってきました。主人公の渋沢栄一については、これまでも歴史・人物伝~番外コラムで紹介しましたが、エピソード編では「渋沢を使う側」の視点で書いてみたいと思います。

渋沢は、平岡円四郎との縁で一橋家に仕官し、徳川慶喜を主君と仰ぐようになりました。渋沢は武士の身分ではありませんが、平岡は彼の志の高さを買ったのでしょう。ただ、それだけではないような気もします。

当時、武士は「経済活動」とは無縁の世界で生きていました。金が足りなければ庶民から上納金を集めればいいと考えており、自らは生産や流通などに携わらない「究極の消費者」だったのです。

渋沢は、幼い時から父親に連れられて藍玉の行商をしていました。商売を通して経済の仕組みを体験的に覚えたのです。一橋家の家臣には無い経験の持ち主だったことは言うまでもありません。

渋沢は、実務者としての力量を発揮することで、一橋家の財政を支える人材になっていきました。財政改革は、彼にとっては当たり前であっても、武家社会で育った者たちには画期的に感じることも多かったと思います。

徳川昭武の従者としてヨーロッパに赴くことになったのも、実務能力を買われての抜擢でした。同時に、渋沢に「先進国の経済」を学び、実践する力を身に付けてもらおうという意図もあったのだろうと考えられます。

徳川慶喜は、新しい形の政権を見据えていたといいます。仮に慶喜の新政権が誕生すれば、渋沢は優秀な経済官僚として政権を支えたでしょう。そう考えると、改めて平岡円四郎の慧眼には驚かされますね(笑)

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歴史・人物伝~諏訪御寮人「謎多き武田勝頼の母」

※noteとの共通記事です

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先日、長野県高遠に出かけた際、建福寺にある諏訪御寮人の墓所を見学しました。諏訪御寮人は武田信玄の側室で、後継者となった勝頼の母ですが、その生涯はほとんど伝わっていません。しかし、信玄が登場する小説やドラマでは欠かせない女性として知られています。

彼女は諏訪地方の名門・諏訪家の出身で、信玄が諏訪侵攻にあたって政略結婚したとされています。彼女は男児を生みますが、その子に諏訪家を引き継がせることにしたのです。勝頼に諏訪家の通字である「頼」が使われているのは、諏訪家の当主と位置付けられていたからです。

諏訪家出身の女性であるにもかかわらず、諏訪御寮人の墓所が諏訪地方ではなく、高遠にあったことが不思議でした。彼女は勝頼がまだ幼い時に亡くなっていますが、成人した勝頼が高遠城主になった時に菩提寺である建福寺に墓所を設けたのではないでしょうか。

諏訪御寮人は絶世の美女で、信玄最愛の女性だったと伝わっています。ミステリアスな存在ゆえに湖衣姫(新田次郎の「武田信玄」)や由布姫(井上靖の「風林火山」)の名で小説に登場し、有名になりました。ドラマや映画では美人女優が配役されているようです。

ちなみに、諏訪地方では「由布姫」の名の方が通っており、岡谷市の小坂観音院には由布姫の供養塔があります。建福寺を訪れるまでは、ここが諏訪御寮人の墓所だと思い込んでいましたが、昭和になって井上靖の小説をきっかけに建てられたそうです。

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一VS岩崎弥太郎

 

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岩崎弥太郎

渋沢栄一を主人公にした大河ドラマ「青天を衝け」も終盤に差し掛かっています。明治に入って官職を辞し、実業家として活躍する渋沢の姿が描かれていますが、その最大のライバルとして立ちはだかったのが岩崎弥太郎です。言うまでもなく、三菱の礎を築いた男として知られています。

第34話では岩崎から宴席に招かれた渋沢が、考え方の違いから激論となり、決別していく場面がありました。たたき上げの経済人として自信満々の岩崎に対し、一歩も引かなかった渋沢ですが、そのキャリアには圧倒されがちだったと見受けられます。そこに助け舟を出してくれた人がいました。

それは、渋沢を見込んで一橋家の家臣に推挙した平岡円四郎の妻・やすでした。やすと渋沢は10数年ぶりの再会で、事情を察したやすが逃げ道を作ってくれたのです。やすは渋沢の考え方に同調していました。そこには、円四郎がかつて渋沢に説いた「おめえは、おめえのまま生き抜け」という言葉があったのです。

やすと出会ったのはフィクションだろうと思いますが、渋沢と岩崎が衝突したことは史実でも明らかですし、その後商船を巡って激しい競争が行われたのです。ただし、二人の目指すべき道は「経済力を蓄えて、日本を外国に負けない強靭な国家にする」ことで共通していました。違っていたのは手法でした。

経済を動かすためには、大きな資本が必要です。その資本を得る手法として、岩崎は「個人の力を巨大化すべき」としたのに対し、渋沢は「大勢の力を結集させるべき」と主張しました。どちらが正しい、あるいは誤っているというわけではなく、どちらも正論と言えば正論だったから、激しくぶつかり合ったのだと思います。

岩崎を演じる中村芝翫さんの圧倒的な存在感が、ドラマを引き締まったものにしてくれています。次週以降の渋沢VS岩崎の対決が楽しみです。

 

歴史・人物伝~仁科盛信「信濃の国に歌われた若き勇将」

※noteとの共通記事です

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長野県民なら誰でも歌える県歌「信濃の国」の歌詞に、歴史上の偉人が登場する一節があります。木曽義仲、太宰春台、佐久間象山といった人物と共に「仁科五郎盛信」が出てきます。仁科盛信とはどんな人物なのでしょう?

盛信は武田信玄の五男に生まれ、信濃の豪族である仁科氏を継ぎ、信玄の信濃攻略の一翼を担います。信玄の死後も兄で後継者の勝頼に仕え、信濃の重要拠点である高遠城を任されました。

織田信長による武田征伐が本格化する中で、武田氏に臣従していた信濃の豪族たちは次々と織田方に寝返っていきます。そんな中で盛信は勝頼を裏切らず、織田信忠の総攻撃に対し、籠城戦で立ち向かったのです。

圧倒的な大軍を率いる信忠は、盛信に投降を促します。それに対し、盛信は徹底抗戦する覚悟を見せつけました。しかし、二つの川に挟まれた天然の要害である高遠城も、大軍の前にはあっけなく陥落します。

盛信は自刃して果てました。年は20代半ばだったそうです。高遠城を落とした信忠は、怒涛の如く甲斐に進軍し、ついに勝頼を滅ぼしてしまいます。盛信の戦いは、武田氏最後の抵抗だったのです。

仁科盛信が最後まで主君(勝頼)を見捨てなかったこと、大軍相手に勇猛果敢に戦ったことが、後の世まで長く語り継がれていき、やがて県歌「信濃の国」で歌われるようになったのです。

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仁科盛信と武田氏

仁科盛信と武田氏

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歴史・人物伝~番外コラム:木曽義仲にロマンを感じながら

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※note版との共通コラムです

平安時代末期の源平合戦の頃、平家を京の都から追い出し、都を制圧した武将がいました。木曽義仲の名で知られる源義仲です。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝にとって一門最大のライバルと言われた人物でした。

長野県に住む人にとっては、県歌「信濃の国」で佐久間象山、仁科五郎盛信らと並んで歌詞に登場する有名人であり、「地方から中央に進出した」という点ではヒーロー的存在でもあります。

ただ、当時の一次史料や二次史料にはほとんど登場せず、義仲の実像は分かっていません。平家物語など諸文学で書かれたエピソードによって、義仲の人物像が出来上がっていったのだと思われます。

義仲が挙兵した地・木曽町日義地区に「義仲館」があり、最近展示内容をリニューアルしました。単に史実を伝えるだけではなく、義仲や彼を取り巻く人物に対し、「思いを巡らせてもらう」展示をしています。

様々なジャンルのアーティストが参画し、それぞれの義仲像を表現しています。当然、美化された部分、デフォルメが強い部分もありますが、あとは見学者が表現を受け止め、自分なりの義仲像を作ればいいのです。

義仲が京の都を支配したのは僅かな期間でした。頼朝が弟らに大軍勢を持たせ、攻め寄せていったからです。頼朝にとっては、平家以上の脅威を感じたのでしょう。裏を返せば、それほどの人物だったわけです。

来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、義仲は主要キャストとして位置付けられているようです。三谷幸喜脚本なので、後世に言い伝えられているような「乱暴な義仲像」を描くことはないと信じています(笑)

 

木曽谷にご旅行の際は、ぜひ「義仲館」を訪れてみて下さい

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歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「青天を衝け」いよいよ明治編へ

※note版との共通コラムです

オリパラのせいで飛び飛びの放送になっていた大河ドラマ「青天を衝け」は、いよいよ明治編へと入っていきます。渋沢栄一の名が全国区になるのは明治になってからで、ここからが渋沢の真骨頂ともいえる活躍が見られそうで、とても楽しみです。

江戸時代の渋沢は、自分のまわりで起きる様々な出来事に対し、順応していく柔軟な考え方を持っていました。幕府に批判的な立場だったのに最後は幕臣になったり、熱烈な攘夷主義だったのにパリ留学に随行したり。当時の日本人からすれば「変節漢」と言われても仕方ありません。

明治になっても「変節漢」ぶりを発揮し、幕臣だったのにもかかわらず、請われて明治政府に出仕します。渋沢の信念は「自分に合っている仕事であるならば、どんな立場であっても関係ない」という点にあるでしょう。その意味では「一本筋が通っている男」だったのかもしれません。

これまでの歴史ドラマは、武将や政治家、革命家を中心に描かれてきました。そこにあるのは「戦い」であり、結末には勝敗がつきものです。敗れた人物が逆転勝利を得たり、栄華を極めた人物が哀れな末路をたどったり、そんな劇的な展開を描いたドラマが多かったと思います。

渋沢も明治になってから、経済人として様々な「戦い」に明け暮れていきます。ただ、そこには「渋沢の一人勝ち」という概念はありません。仮に負けたとしても、西郷隆盛のように自決するようなこともなく、次の機会に向けた挽回のための手立てを考えていきます。

渋沢が後世に「日本経済の父」と呼ばれるような人物に、どうやって成長していくのか。彼を取り巻く大隈重信伊藤博文岩崎弥太郎らを個性的な役者さんが演じるので、今後のドラマの展開が楽しみです。ようやく、オリパラに邪魔されず毎週見ることができますし・・・(笑)

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